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Last Updated...Dec.23/01
ダニエル・パサレラ
Daniel PASSARELLA

生年月日 1953年5月25日
 
身長/体重 174cm/74kg
 
ポジション DF
 
出生地 チャカブコ(アルゼンチン)
 
フルネーム Daniel Alberto PASSARELLA
(ダニエル・アルベルト・パサレラ)
 
代表デビュー 1976年
 
代表キャップ 70試合(24試合)
 
関連大会 1978年W杯アルゼンチン大会アルゼンチン代表 【7試合・1得点】
1982年W杯スペイン大会アルゼンチン代表 【5試合・2得点】
1986年W杯メキシコ大会アルゼンチン代表 【出場なし】
コパ・アメリカ1995アルゼンチン代表監督
アトランタ五輪1996アルゼンチンU-23代表監督
1998年W杯フランス大会アルゼンチン代表監督

チーム遍歴
73-74 サルミエント(3部)
74-82 リーベル・プレート
82-86 フィオレンティーナ <ITA>
86-88 インテル・ミラノ <ITA>
88-89 リーベル・プレート

驚異的なジャンプ力を誇り、174cmと小柄ながら空中戦に絶大の強さを発揮。また左足から放たれるFKはチームの得点源ともなり、セリエAにおけるDFとしての得点記録を塗り替えた。(この記録は、00-01シーズン、ペルージャのマテラッツィの12得点に塗り替えられた。)

78年地元開催のW杯で、24歳の若さながらキャプテンを務め、アルディレス、ケンペスらとともに、アルゼンチンのW杯初制覇に貢献。

98年フランスW杯では、アルゼンチン代表監督を務める。非常に厳しい規律を代表チームに持ちこんだ。その最たるものは長髪禁止令だろう。長髪自慢のバティストゥータに髪をきらせたのも、レドンドがトレードマークの長髪を切るくらいならと代表を辞退したのも、有名なエピソードだ。本大会では良くも悪くも自身の愛弟子である、オルテガをチームの中心に添えたが、最終的にはオルテガの一発レッドの退場が響いて、準々決勝で姿を消した。

ウルグアイ代表監督を経て、01-02シーズン途中、01年11月にパルマの監督に就任するも、いきなりのリーグ戦5連敗でスピード解任された。

ニックネームは「エル・ゲレーロ(戦士)」。

クラブキャリア
シーズン チーム 出場試合 ゴール Div. 備考
74〜82 リーベル・プレート 266 91 1部 5度優勝
82〜86 フィオレンティーナ 109 26
86〜88 インテル 44 9
88-89 リーベル・プレート 32 8 1部
アルゼンチン・リーグ(プリメーラA)デビュー
1974年4月14日
アルゼンチン・リーグ(プリメーラA)初ゴール
1974年7月28日(アルヘンティノス戦)→2-3<lost>
リーグ引退試合
1989年6月2日(ボカ戦)→2-1<won>

コーチング・キャリア
シーズン チーム Div. リーグ順位 備考
90-91 リーベル・プレート 1部 優勝
91-92 優勝
92-93 優勝
93-94
94.9-98 アルゼンチン代表 代表 98年W杯出場
99-00 ウルグアイ代表 代表
01-02 パルマ 1部 シーズン途中より(ウリビエリ後任)
5試合で解任(01年12月末)

在籍クラブチーム
サルミエント <SARMIENTO>
リーベル・プレート <RIVER PLATE>
フィオレンティーナ <FIORENTINA>
インテル・ミラノ <INTERNAZIONALE MILANO>
出生地
チャカブコ <Chacabuco>

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