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天才マラドーナの系譜を継ぐ天才ストライカー。「マラドーナの再来」と嘱望される若き才能はアルゼンチンに数多く現れているが、その中で最もマラドーナを彷彿とさせる選手。小柄なだけではなく、重心の低いシャープなドリブル、そしてすばしっこく相手DF陣を翻弄する動きの質の高さは、その伝説的名手を想起させるに充分だ。敏捷性に溢れた小動物のような肉体が躍動し、大柄なディフェンダーの間をすりぬける様は小気味よささえ感じさせる。マラドーナ自身がサビオラの実力には太鼓判を押している。アルゼンチン代表で、また所属するクラブで得点源となったサビオラを目にする日は遠くはない。
貧しい家庭に育ち、8歳の時にリーベルのユースに加入。ディアス監督の下、98年10月に、若干16歳でトップデビュー。99-00シーズン前期リーグでは、マラドーナに次ぐ史上2番目の若さ(18歳9日)でリーグ得点王のタイトルを奪取。同シーズンの前期・後期のダブル優勝に貢献した。その1999年には南米最優秀選手賞も獲得。リーベルでのアイマールとのコンビは、50年、60年代のシボリ&メネンデスというリーベルの伝説的2トップと比肩されるほどの輝きを放っていた。
2001年6月、母国で開催されたワールド・ユースでは大会新記録となる1大会11得点を挙げ、得点王のタイトルを奪取すると共に、破竹の快進撃での優勝に貢献。大会MVPのタイトルも奪取した。
ワールド・ユースでの最大級の戦績を抱えて、ヨーロッパの舞台へ。バルセロナへの移籍後も、徐々に存在感をアピールすると、クライファートとのコンビでゴールを量産した。
2002年W杯本大会の最終メンバーには漏れたが、疑いの余地なく2006年には主役の座を与えられるであろう。
敏捷な動きからついたあだ名は「コネホ(Conejo、うさぎ)」。名付け親はヘルマン・ブルゴス。
サビオラが、経済危機に揺れるアルゼンチンを離れ欧州へ渡ったのは、闘病中の父の治療費を稼ぐためでもあった。しかしながら、バルセロナへ旅立つと間もなく父の訃報を耳にすることとなる。その悲しみを乗り越えて、バルサで定位置を確保し、人間的にも一回り成長した。 |
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